コラム ペストから始まる世界史調べ

突然3週間の休みができてしまったので、大忙しの毎日から突然、「精神と時の部屋」に入ってしまった気分。休み1日目は流石に仕事のことも忘れて、気の向くままにネットでもするかと、なんの気なしにWikipediaで「ペスト」から調べ始めて、14世紀にヨーロッパの半分、イタリアやイギリスでは80%の人口が減ったと、、ある程度知ってはいたけど、思った以上だなぁ、へぇ、イタリアにペスト菌を運んできたのは、モンゴル帝国なのか、、確かに、ちょうどモンゴル帝国の終盤あたりの時代だなぁ、、で、ペストで人口が大量に減ったせいで、西ヨーロッパで農奴制が成り立たなくなって、それが農奴解放の流れの一因だとも、、イギリスではペストで疎開したニュートンがその余暇の中で、万有引力の法則や、微積分を証明することになる(ただしこっちは17世紀ペスト)、、そしてイギリスはその後、世界で最初に産業革命を成功させていく、、一方、、イタリアはその後ルネサンスが巻き起こる、、西ヨーロッパは大航海時代へ、、その後18世紀、近代化が遅れたロシアのピョートル1世は、近代化の財源確保のため、また産業革命で人手不足の西ヨーロッパへ輸出するための農作物の確保のために、西ヨーロッパとは逆に農奴制をより強固にしていく、その後のエカチェリーナ2世で、農奴制はさらに確立され、ロシアの農民は長く奴隷の扱いが続くことに、、ロシアの厳しい農奴制は最終的にはその大きな反動としてロシア革命、共産主義帝国の成立に繋がっていく・・。共産主義になって、労働者の地位は向上したが、、ソ連は第二次世界大戦、特に独ソ戦で、桁違いの死傷者(2000万人以上)を出すことに、、これって、自国民だけで14世紀のペストのヨーロッパ死者数に匹敵する数、、それは、スターリンの、兵士や民衆を駒としてしかみない戦略・姿勢によるもので、結局は農奴制をひきづった、ロシアにおける民衆=奴隷の認識の根強さからなのだろうな、、。へぇ、エカチェリーナ2世って、18世紀当時、日本から漂流した大黒屋光太夫と会ってるんだ、、しかし、三重から江戸に向かおうとして、漂着してたどり着いたのが、カムチャッカより先の島(アムチトカ島)で、そこから日本に帰る許可を得るために、一旦、サンクトペテルブルグまで行ってエカチェリーナ2世に謁見しに行って、江戸に戻ってきたのが10年後、、、数奇な運命なんてものじゃないな・・、感動さえ覚える。1790年にカムチャッカからサンクトペテルブルグまでどうやっていったの・・?というか、やっぱりなんだかんだ言って調べ始めると、なにかとロシアにはまってしまう。ロシアって、やっぱり意味不明でぶっ飛びすぎてていくら調べても謎が多すぎて理解の範疇を何周も超えていく。さすが恐ロシア、面白すぎる。

って、WikipediaとGoogleマップ眺めながら、ネットサーフェンに没頭してたら、平気で6時間くらいいつの間にか時間がたってしまった・・。最初に調べ始めたのなんだっけ・・?あっ、「ペスト」だ。。でも歴史って本当に全てが繋がってくるんだな。。自分は今、その流れの中に身を置いているのだろう。

こういう時間の使い方、、昔は夜更かししながらよくしてたけど、本当に久しぶりだな。ある意味、一番没頭している時間かも。。

このまま3週間もこの精神と時の部屋にこもるのは全然問題なさそうだが、、このままだと、ぶっ倒れるまでWikipediaとGoogleマップ見続けてしまいそうだ・・

https://ja.wikipedia.org/wiki/ロシアの農奴制

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